原志免太郎博士訪問記

こんにちは。
帰来堂鍼灸療院の坂光です。

書類を整理していたら、興味深い資料が出てきましたのでご紹介させて頂きます。
鍼灸専門雑誌の「医道の日本」に掲載された古い記事「原志免太郎博士訪問記」のコピーです。
鍼灸学校の授業で、参考資料として配られたのでしょう。昭和58年2月号とありますので、34年前になりますか。

鍼灸学校では原先生のことは、「お灸が血液に及ぼす影響」について研究論文を書いた医師ということで習います。
「男性長寿日本一」として108歳で亡くなったのですが、なんと104歳まで医師として診察をされていたというすごい方です。1882年生とのことですので、この記事が出た時は100歳であったということですね。
Wikipedia「原志免太郎

モクサアフリカ:お灸で結核を治療する

原先生についてもう1つ授業で習ったのは、足三里穴と腰の八点のツボにお灸をすることで結核の治療をしたということでした。
日本で結核が最も猛威を振るったのは、大正から昭和初期です。つねに死亡率のトップを占め、国民病として恐れられていたそうです。(財団法人結核予防会のサイトより)
でもその時の私は、結核は「過去の病気」という間違った印象を持っていましたし、知識として頭に入れておいただけでした。

その後縁があってアフリカ支援 アサンテ ナゴヤのケニアでの無料医療活動に参加するようになりました。
鍼灸師として何かもっとできることはないかとネットで情報を集めていて、モクサアフリカのことを知りました。

モクサアフリカは衝撃的でした。
イギリス人鍼灸師もマーリン・ヤングさんはウガンダにボランティアに出かけ、HIV陽性者が多く結核で亡くなっている現実に直面します。
医師に見放された瀕死の少年にお灸を試してみたそうです。少年の望みは故郷の村に帰ること。お灸を続けているとだんだん体力が回復してきて、何とか村に帰ることができたそうです。

帰国後マーリンさんは鍼灸による結核治療の情報を探し、唯一見つけることができたのが原先生の論文であったとのことです。その後、マーリンさんはモクサアフリカを立ち上げました。原先生の方法を用いて、ウガンダと南アフリカでお灸による薬剤耐性結核の治療の可能性を探る活動を続けていらっしゃいます。モクサアフリカのホームページ

日本人で原志免太郎先生のことを覚えている人は少ないと思います。私たち鍼灸師ですら、名前を知っている程度のことで、昔の研究と言うことで殆ど気にも留めていませんでした。
それをイギリス人の鍼灸師が再発見し、アフリカで結核患者に試しているというのです。とても驚きました。

私はイギリスのバーミンガムまでマーリンさんに会いに行きました。折よく理事で日本人の伊田屋(いたや)幸子さんともお会いでき、その後親しくお付き合いさせて頂いています。
アサンテ ナゴヤのケニアでの医療キャンプでもヘルスワーカーにお灸を指導し、もぐさを寄贈してきました。
現地で少しずつ広まっていると報告を受けています。

記事には、原先生は「お灸がもてはやされない時代に『灸の血液に及ぼす影響』について徹底的に研究して科学の光をあて、忘れ去られんとしていた灸の真の効果を証明し、この貴い歴史の灯を点し続けて下さった大先輩、そして灸の効果を身をもって示す、満百歳という長寿」の方とあります。
この記事を読んで、歴史の灯を引き継いでいかなくてはならないと改めて思いました。