こんにちは。
帰来堂鍼灸療院の坂光です。

『アンネ・フランクの家』のインスタグラムへの投稿をリポストいたします。

#Repost @anne_m_frank (@get_repost)

マルゴット・ベッティ・フランク(Margot Betti Frank、1926年2月16日 ― 1945年3月上旬)は、『アンネの日記』の著者アンネ・フランクの姉にあたるユダヤ人の少女。愛称はマルゴー。(Wikipediaより)

On Sunday, July 5, 1942, a postman rang on the doorbell at the Frank family’s home. He left a call-up notice for Margot. Margot was ordered to report to the Germans and transported to Westerbork, a transit camp in Holland. From July 5, 350 Jews per day were being called up for labor service in Germany. Otto and Edith had heard rumors about this and had prepared a hiding place together with another family – van Pels. Anne was first told that the report card was for Otto. “I was stunned. A call-up: everyone knows what that means. Visions of concentration camps and lonely cells raced through my head. How could we let Father go to such a fate? /…/ When she [Margot] and I were sitting in our bedroom, Margot told me that the call-up was not for Father, but for her. At this second shock, I began to cry. Margot is sixteen- apparently they want to send girls her age away in their own. But thank goodness she won’t be going; Mother had said so herself, which must be what Father had meant when he talked to me about our going into hiding.” (Anne in her diary July 6, 1942) Photo: Margot 1941.

1942年7月5日、郵便配達人がフランク家のドアのベルを鳴らし、マルゴットの召集令状を置いていった。マルゴットはドイツ当局への出頭を命じられ。ヴェステルボルク(オランダ国内の一時収容所)に入れられることになる。
7月5日から毎日350人のユダヤ人がドイツでの労働奉仕のために召集されていた。オットーとエーディトはこのことについての噂をすでに聞いていて、ファン・ペルスという別の家族と一緒に隠れ家を用意していた。アンネは最初、令状はオットー宛だと聞いた。「衝撃を受けました。召集、それが何を意味するか誰でも知っています。強制収容所と孤独な牢獄のイメージが私の頭の中を駆け巡りました。お父さんをそんな目に合せるなんて、どうしてできるでしょう?. . . マルゴットと寝室に座っている時、令状はお父さん宛ではなく彼女宛なのだと言われました。2度目のショックで私は泣き始めました。マルゴットは16歳です。あきらかに彼らはその年齢の少女たちを強制収容所に追い立てたがっているのです。でも幸い彼女は行かないことになりました。お母さんが自分でそう言いました。前にお父さんが私たちは身を隠すことになると話していたのはこのことに違いありません。(『アンネの日記』1942年7月6日)

こうしてアンネ・フランクの一家は、現在『アンネ・フランクの家』というミュージアムになっている家で潜伏生活に入りました。

このようなユダヤ人の召集、強制収容所への移送は法律に基づく処置であり、当時は合法だったのです。